真夜中の弥次さん喜多さん


久しぶりに映画館に行ってきた。約1年ぶりくらいだろうか。
久しぶりに行って、分かったことがある。僕には映画館は合わない!その映画が面白ければ、面白いほど合わない!
何故かというとまず、周りがうるさかった。今回の映画の場合、僕のようにちゃんと原作を知ってる人は少なかったように思う。たぶん、ほとんどがクドカン(宮藤 官九郎)目当てだったであろう。
だから、原作を知らない奴が喜多さんの体に幻覚茸が生えてしまうシリアスなラストシーンも「何これ!?」って感じで笑っちゃっているのだ。(この笑い声がうっとーしい!)
もうこっちとしては、そんな変なところで笑われては、映画に集中できなくなる。(集中なんてものは、無意識にするものだから、集中を意識するだけで集中できなくなる、という事を考えるだけで集中できなくな…というサブリミナルに陥って集中でき…ぁ…ぁという感じになってしまうのだ。)
後は、友達と一緒に観に行って帰りにこの映画は「どうの、こうの、やったやんなー。」とか話をするのが嫌いなのだ。
良い映画に巡り合ったときには、友達には悪いが1人の世界に入ってその映画の余韻を味わっていたい。じゃー、1人でいけばいいじゃないかと言われそうだが、無理して1人で行くなら、多少遅くても我慢して他に見たい映画は山ほどあるのだから、それをレンタルビデオ屋に借りて観た方がよっぽど良い。
だから、理想の条件としては、自宅に映画館級のホームシアターを置いて観ることだ。(ホームシアター。涙が出てくるほど良い響きです。)
まぁ、そうも言ってられないので、ちゃんと1人で映画館に行けるような精神的に強い大人になりたいもんです。(寂しいのが一番の理由かもしれない)


映画を観てる最中に集中力が途切れて何故、僕は映画館が嫌いなのだろうという自己分析をしてしまった内容を前書きとして書いたわけだが、(全然、ちゃんと観てないやないか!と思われるかもしれないが、時間にしては2、3秒で考えたことですのであしからず)そろそろ、本題の『真夜中の弥次さん喜多さん』について語ろうと思う。


豪華キャストでギャグもばんばん入ってきて、楽しかったのだがそんなものは所詮、1回観れば十分なので、もう少しシリアスな部分も欲しかった。尺としては割と長めなので、ギャグ部分を1ネタ削ってかわりに『弥次喜多in DEEP』の3巻にある地獄前の晩餐会のところをぜひとも撮って欲しかった。(この1つでだいぶ変わっていたと思う。)
正味シリアスなところは、板尾創路の「浪速ホット師匠」と喜多さんの箱根の関所パート2のところだけだったので、結果として最後まで心に残るのは、あそこだけとなってしまっている。
この映画はたぶん、リピーター(もう一度観に来る人)が多いと思う。僕も正直、もう一度観たい。
でもそれは、あのキャラが引き立っている愉快なギャグを見たいのではなく、やっぱり、あの板尾の「ん?」と言いながらヤクをほおばっているシーンを見に行きたいのだ。
もう一度観たいが、DVDとして何十回も観たいかと聞かれたら、バランスの悪さがどうしても目立ってしまう。本当にあのシーンが良いだけに惜しい作品だと思う。


先ほどもちらっと言ったが、クドカンはキャラを引き立たせるのがすごく上手だと思う。はじめは正直、「なんで、長瀬が?」と思ったりもしたのだが、今思うと全然良かった。一応、やりたい放題で終わらさず、これも所詮は映画なんやでという問いも軽くやっていたと思うので、初監督作品としては失敗ではないだろう。
B+