リバース・エッジ
- 作者: 岡崎京子
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2000/01
- メディア: コミック
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岡崎京子の世界観の説得力は、必ず人物からズラしてスクリーントーンを切るんです。このズラしかたは、彼女だけでなくて、桜沢エリカなどもやっているんだけど、岡崎の場合はこのズレが、人間の存在が自分自身からズレてしまったという感じをものすごく印象づけるように思うんです。僕らがいまの時代にもってしまう、自分自身とのズレ、社会とのズレ、他人とのズレ、そういう不可避的なズレを、スクリーントーンの切りかたが象徴しているように感じます。逆に、ズレがないのは死者なんです。死んでいるんだから。死者は死者として即物的に死者であって、それ以外ではない。この作品はズレのない存在が死者だというところへ、収束していくんです。
次に本題の内容について
どういう話かというと、同性愛者の少年がいて、だけど、そのことを隠さなければいけないので、女の子と一応付き合っているんだけれど、当然愛情がなくてその女の子を傷つけていくという話で、彼とつきあっていると思っていた女の子は、彼の態度によってだんだん狂わされていき、結局、一種の強迫神経症のようになったあげくに焼身自殺してしまう。自殺したあとに、その少年は、こんなふうに言う。
「生きているときの田島さん(つまり焼身自殺した彼女)は全然好きじゃなかった。」
「自分のことばっか喋ってて、どんかんで一緒にいるといつもイライラしてた。」
「でも…黒こげになってしまった田島さんは…死んでしまった田島さんはすごく好きだよ。」
この少年の中で、対人関係というのがどこかで致命的に壊れてしまっている。まともな人間関係が成り立たない中で、死者に対して初めて安定した関係がとれる。死者というのがいわば、彼の生活の中で自分をつなぎとめる定点観測の定点のようになっているというふうに描かれている。
セックスや同性愛が出てきて、ふつうなら恋愛がテーマになるような話なのに、こんな場所では恋愛なんて不可能なんじゃないか、そもそも恋愛は可能なんだろうかという話に岡崎京子の場合はなっている。
恋愛という最初の場面では何かを信じなければならないんだけど、その信じるということがもうできなくなっている。信じられるとすれば、少年にとっては死者だけだったということなのだ。
A−