『サリンジャー戦記』『ライ麦畑でつかまえて』

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 村上春樹がなぜ『ライ麦畑でつかまえて』を翻訳したのかという真意を綴った『サリンジャー戦記』という本を今読んでいる。そこから、言葉に出来なかった色々なものに気づくことが出来た。


 この『ライ麦畑』という小説は実に不思議な作品で、めちゃくちゃハマッたり、人生の愛読書になったりということは決してないのだが、なぜか心の片隅に残り続けている(いくであろう)作品だと思う。
 よく言われている評価として、「社会に反抗する無垢な少年の物語」というものがある。
しかし、実はこの物語は「対:社会」なのではなく「対:自分」という内面葛藤を主題とした物語なのではないだろうか。
思い出してみると、主人公はずっと誰かに向けて語りかけている。それは自分自身への問いかけなのだ。
 又、社会へのカウンター的要素を評価されているが、物語を振り返ってみると驚くほどハッピーエンドではない。
主人公は、親に黙って学校を中退し、もう家には戻らないと決意し放浪の旅に向かう。その中で、内面的葛藤を経て再び力なく家路につく。
ここには何の発展的結末もなく、ただ振り出しに戻ったにすぎないという感がある。
そして、主人公はこの話を病院(おそらく精神病院)で語り始めるという非常に不遇な物語なのだ。
 主人公の性格も躁鬱的で行動も常軌を逸している。しかし、彼の抱えている問題・一つ一つの心情というのには強い説得力がある。
 主人公のそういう「普通でありながら同時に普通ではない」というところや青春小説の型通りの部分がありながら同時に完全に違った部分を持っているというところの二面性が非常に面白い。

 出版されて50年の年月を経て、もはや「古典」となった『ライ麦畑をつかまえて』。
しかし、抜群の言い回し・文体を含め、多用な読みに耐えてくれるこの作品に古さは感じられない。
又、翻訳的にも長年出版されてきた野崎孝と2003年に新しく翻訳された村上春樹の二つがあり、多様な広がりを見せている。

 もし、まだ読んでいないという人がいればぜひ読んでみてはどうですか?